2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧
天井町の井戸替えとともに、奈良県立民俗博物館にビデオ映像が残されている下市阿知賀の瀬ノ上弘法大師がある。 今でも行われているのか、それを知りたくて出かけた下市町の阿知賀(あちが)。 瀬ノ上の集落内にあった弘法大師の湧水場。 朝8時に集まった住…
度々拝見している弘法井戸の井戸替え。 大和郡山市の天井町の行事である。 毎年、盆入りの7日に行われている。 最初のひと汲みはツルベでなくバケツの水汲みだった。 あとはいつものように効率よく電動ポンプで汲み出しをする。 溜まった泥も勢いよく汲みだ…
田中の里は思った以上に広い地域だと知ったこの日。 二人の息子が通っていた郡山西小学校も田中の区内であると初めて知った。 地区に住んで30年も経って知った田中の里である。 かつての富雄川に沿った斜めの小字境。 それが旧河川の流れ。 三カ井堰から流…
田中町甲斐神社の行事取材のおりにやかましく鳴いていたクマゼミの声。 シャーシャーの鳴き声は五月蠅いぐらいだ。 耳を澄ませば、どこかとなく違う鳴き声も聞こえてくる。 ジーというからアブラゼミである。 アブラゼミはクマゼミより少なくて、1/4ぐら…
先月の20日に開店したラーメン丸福軒は大和郡山市の下三橋を通り抜ける国道沿いにある。 新聞チラシにあった開店記念の割引券。 どんなラーメンでも100円の割引だ。 試しに行ってみるかとかーさんを誘って出かけた。 店内レイアウトは6月末まであった…
東山間から下って訪れた桜井市の山田。 明日香村へ向かう途中に立ち寄った。 昨年の4月のことだ。 旧暦閏年に行われる庚申さんの調査で伺った山田の地。 畑の中に立ってあった3本の木。 どことなくカンピョウ干しの道具であるように思えたのである。 もし…
朝から家を出て東山中を掛け巡っていた。 昼の時間はとっくに過ぎていた。 曇り空ではあるが、湿気が多くむんむんするこの日。 さっぱりとした昼食を食べたくなって針テラスにやってきた。 いろんなお店があって呼び込みもある。 そんな声は耳に入らず、入店…
この日は山添村など東山間を巡っていた。 立ちよった大字切幡の神明神社前に駐車する村人の車があった。 大勢が集まって行われていたのは黒住教の信者さんたち。 この日は神明神社の行事ではなく、黒住教の大祓えである。 鳥居に括りつけていたのは茅の輪で…
氏子総代らに聞いた桜井市三谷の行事の数々。 三谷のオンダ祭は3月7日に近い日曜日に行われているが、稀に宮司の都合で日が替わる場云もあるらしい。 この年の3月23日に拝見したオンダ祭の名残。 拝殿廊下に置かれてあった藁製の束の呼び名は「ハナカズ…
かつては8月1日だった桜井市三谷のお庭造り。 現在はその日よりも前の休日に移った。 氏神さんを祀る菅原神社には早朝から作業をしてきた村人。 この日は朝8時から作業に入ったという氏子総代や人足さんだ。 手分けして、神社や無住寺の高野山真言宗地蔵…
かつて私が住む旭ケ丘自治会では盆踊りがあった。 息子たちが小学生のころだった。 青池と社会教育会館体育館の間の広場であった自治会住民が踊る盆踊り。 櫓を立てて踊りの輪が何重にもなったことを覚えている。 ここより1km南西に千日町がある。 旭ケ丘…
平成23年2月27日に立ちあがった「矢田歴史民俗研究会」。きっかけは平成22年12月11日から翌年の23年2月6日に奈良県立民俗博物館で企画展された「大和郡山の祭りと行事」であった。民俗博物館・大和郡山・矢田へと繋がった一本の線は発展して…
春の彼岸の入りの日はチバミ墓地に参ってお念仏を唱えて数珠を繰っていた今市の小念仏講の婦人たち。 7月には今市の地蔵盆においても数珠繰りをしている。 小念仏講の婦人たちは講中でも尼講の人たちだ。 今朝は雨が小雨だったこともあって蒲池傍にある地蔵…
田原本町の伊与戸では集落を中央から分けて東・西の二カ所に地蔵尊を奉っている。 東・西それぞれに属する尼講こと大師講の婦人たちがお勤めをする伊与戸の地蔵盆。 地蔵尊の前に竹を2本立てる。 その間に架けた葉付きの竹で設えたのは提灯掛けである。 ま…
この日は県内各地で地蔵盆が行われる。 なかでも気になっていたのは大和郡山市の新庄町。 新庄町本村から北東外れにある村の出垣内は「鉾立(ほこたて)」と呼ぶ地区。 江戸時代は鉾立が本村で新庄本村が枝村であった。 後世に逆転した珍しい地域である。 そ…
江戸時代後期、元興寺の極楽坊が庶民信仰を広めるために近在一帯の十数か町に仏像を贈ったと伝わる「ならまち界隈」。 その一つにあたる奈良市公納堂町(くんどちょう)にはかつて阿弥陀さんを代々祀っていたあるお家に町内の人が集まって法要をしていた。 …
郡山ゴルフ場の前。信号を渡ればマクドやガストがある。 中央はぽっかりと空いた地。 何十年もその姿であった。 かつての店が何だったか、まったく覚えていない。 数か月前のことだ。送迎する道中である国道24号線は通過地点。 空き地に工事業者が集まって…
天理市櫟本町の高品(たかしな)の夏祭りを知ったのは5年ほど前だ。櫟本町の和爾下神社で行われる夏祭りの茅の輪潜りなどを下見していた。駐車場付近の民家に貼ってあった行事の案内に高品の長林寺で行われる観音夏祭りが書かれていた。高品がどこであるの…
大和郡山市の長安寺町にある五輪塔覆堂(ごりんとうおおいどう)は筒井順慶墓。 国指定の重要文化財である。 それは筒井順慶歴史公園内にある。 そこには長安寺町の大神宮もあるが、知る人も多くない。 かつては注連縄を張ってソラマメ御供を供えていた。 いつ…
川西講大神宮のゴウシンさん神事を終えれば直ちに川東へ向かう池坐朝霧黄幡比賣神社の藤本宮司。 川西の御湯を終えた里の女児巫女も急ぐ。 川東惣講大神宮は現在の大和川西岸に建つ。 寄進年代は不明であるが、「川東惣講中」の刻印が見られる。 西岸に建っ…
田原本町の法貴寺は2か所でゴウシンさんが行われている。 大和川西堤防付近にある川東惣講中の大神宮石塔と、今では公園になっている昭和57年の10号台風の豪雨で決壊した旧大和川より少し西側にある川西講中の大神宮石塔である。 神事を執り行うのは池…
中之町伊勢講の神具を見送った私たちはご近所で祭られているダイジングさんの在り方を調査した。 丹波市(たんばいち)町の市座神社から北寄り。 東西を抜く北側は勾田(まがた)町である。 その道筋の向かい側にあった斎壇。 木製の燈籠は大神宮なのか、そ…
「天照皇太神宮」の大きな文字を中央に配した大鏡をご神体として崇めてきた天理市丹波市の中之町の伊勢講。 講中にとっては見納めになる大鏡である。 重さは約29kg、直径が約93・6cmで、側面の厚さは3・2cmもある銅製と思われる大きな鏡。 右が…
夕方間際に降った突然の突風。 南六条に鎮座する杵築神社境内を奇麗に清掃していた頭屋の一老になるTさん。 雨がどっさり降った量が多く、より一層奇麗になったようだ。 その後も2度降ったが祭典には影響しない天理市南六条南方の祇園祭り。 前区長のN氏…
正面に「大神宮 若連中」。 南側は「村内安全」と刻印された田原本町伊与戸の大神宮石塔は文化十年(1813)に建之された。 八幡神社の敷地内にある。 葉を付けた笹竹を立てる。 水平に掛けた一本の竹によって鳥居のように見える提灯掛け。 かつてはゴウ…
2年ぶり。 穴場だった全国ラーメンが売りの永田屋を目指して出かけた。 お店にのれんがなくシャッターが下りていた。 遠目だけど貸店舗の張り紙があるように見えた。 どうやら閉店したようだ。 700円のドーヤン豚骨が美味かった。 どんなラーメンでも替…
奈良市東包永(ひがしかねなが)町は「ならまちきた」の一角にある。 春日山眼下にある「菊一文字四郎包永」店は当地が発祥と伝わる。 貞和年間(1345~)のころである。 当地に手掻文殊鍛冶平三郎包永が住んでいたことから包永(かねなが)の町名が生れ…
平群町福貴畑の水がめであるジョウサン池。 農業にとって大切な池は地域の貴重な水源地でもある。 村の鎮守社である杵築神社より北西500m先の山の上だ。 大阪県境になる十三峠はそれより向こう側になる。 6月22日に通りがかった十三峠の道筋。 そこで…
県立民俗博物館で今年の写真展打合せを終えて帰宅したときのことだ。長男が帰省すると電話があったというかーさん。お盆は仕事が忙しくなりそうなので帰省できなくなる。急なことだが休みをもらったので帰るとうわけだ。そうか、世間では、海の日の祝日を含…
祇園祭の中日(なかび)になる10日は般若心経を唱えたあとでソーメンをよばれると聞いていた天理市の海知町(かいちちょう)。 氏神さんを祀る倭恩智神社の祇園祭はかつて7日から14日までの毎日であった。 提灯を掲げた神社の扉を開けて参拝者を待つ。 …