2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧
お腹が減っては午後からの取材に出かけられない。 長谷からはほど良い距離にある針テラス。 この日もたくさんの観光客が訪れていた。 3か月前も来た「麺之庄つるまる饂飩(うどん)」。 手軽に食事ができるのがありがたい。 この日も頼んだのはぶっかけうど…
縁があって拝見することになった奈良市長谷町の日吉神社造営上棟祭。 神社は急な坂道を登ったところだ。 駐車場はあるものの、そこは氏子さんの場所。 しかも、当日は上棟祭に集まる家族も大勢でいっぱいになる。 ソトウジコも居るだけに相当な人数の祭りは…
出雲の地でも閏年の庚申さんをされていると脇本のM氏が話していた。 その所在を確かめたくてやってきた。 出雲と呼ばれる地区は桜井市の出雲である。 素朴で温もりを感じる素焼きの土人形。 かつては長谷寺詣でや伊勢街道を往来する人たちの土産にあったと…
天理の福住から奈良市の都祁へ向かう道は広域農道。 度々通う道である。 そこから南下すれば長谷寺に向かう道。 桜井市の小夫、瀧倉を抜けて初瀬ダムへと続く国道。 さらに南下すれば長谷寺に着く。 この道は意外と細くてくねくね。 乗用車やトラックが頻繁…
桜井市の北白木の人たちの話によれば隣村のダケホでは4月1日に閏年の庚申トアゲを済ませたという。 ダケホと呼ぶ地区は緩やかな斜面に田んぼが広がる小夫嵩方(おうぶだけほう)だ。 地区に住むS氏にお話を伺って奉っている庚申さんの場を案内してもらっ…
旧暦閏年は3年、4年或いは2年の間隔でやってくる。 その年にあたれば庚申さんを祀る講中は塔婆に願文を記して庚申塚に参る。 地区にはそれぞれの組で構成されている講中があり、お参りにする日は講中を相談の上で決められる。 山間部の桜井市の北白木では…
山添村のYさんは海外に行った娘さんとスカイプをしている。 スカイプって名は聞いたことがあるが、どのようなものなのかまったく存知しない。 スカイプ同士ならタダで通話できるしテレビ電話のように向こう側が見えて手にとるようだと話していた。 姪が短期…
女の子が居る家に行ってお菓子を貰いに巡るヒナアラシ。 旧暦の4月3日に五條市の近内町で行われている。 近内町は100軒ほどだが、女の子が居る家はおよそ60軒。 各家にはお雛さんが飾られている。 そこを一軒、一軒ずつ巡ってお菓子を貰う子供は男女…
我が国の茶の歴史は仏教伝来とともに喫茶の風習を受け入れた奈良時代に始まるそうだ。 大和奈良から始まった「茶」の文化。 奈良の「茶」をテーマに撮影巡拝した仏隆寺は大和茶の発祥の地。 空海が唐から持ち帰った最古のお茶を栽培したとされる。 村田珠光…
NPO法人うちのの館が管理する五條市近内町の藤岡家住宅は俳人の藤岡玉骨の生家。 登録有形文化財である。 施設に感動した昨年の四月。 今年も同月に訪れた。 この時期はお雛さんを飾っている。 今年は花の季節が一週間ほど遅れていたが、樹齢250年とされ…
南阿田と滝の氏神さんを祀る南阿田御霊神社。 右側の社殿が滝の八幡神社である。 享保六年(1721)の刻印が見られる石燈籠がある神社。 二つの宮座講があるそうだ。 下市から五條にかけて各大字で祀られるお仮屋がある。 下市新住(あたらすみ)八幡神社…
かつては旧暦の4月3日に行われていた五條市南阿田の流し雛。現在は4月第一日曜日(昭和48年より)になった。この日は村の農休日。「休まんと罰金や」というて、絶対に集まれる日を行事の日としたのである。南阿田では戦前まで伝統の吉野川流し雛を守っ…
「晦日そば食べ放題」の幟が目に入った。 毎月の末日はざるそばが食べ放題。 お店はサガミチェーン店。 各地にあるお店だ。 住之江では満席だったので諦めた。 おふくろが蕎麦を食べたいといったのだが当日は諦めた。 六甲オルゴールミュージアムを楽しんだ…
雨の有馬では足湯に浸かるにも難しい。 坂道など多い有馬ではおふくろは歩けない。 どこを目指せばいいのだろうか。 ソサエティで聞いた六甲オルゴールミュージアムなら館内。 雨が降っても施設内は影響ない。 それならばと目指したミュージアム。 ソサエテ…
目が覚めたら朝だった。 その日は朝から雨。 横殴りの風に煽られて有馬の山が見えない。 どこへ行くアテもないが朝食はいただかないと・・・。 1700円の和朝食、洋朝食があるがそれほど変わらない。 美味しくいただいた朝食は5年前と同じだったことに後…
従姉妹のねぇちゃんが保有していたダイヤモンドソサエティ。 クラブ員だったが平成19年7月に亡くなった。 その後も家族が継続契約をしているソサエティクラブ。 ときおりおふくろも利用している。 亡くなる年の3月に行ったことがある有馬ソサエティ。 オ…
矢田の歴史から振りかえり、郡山城下や矢田の民俗文化を探って郷土の基礎的な情報を蓄積する試み。 民俗談話会を発展すべく研究会と名を替えてから1年が過ぎた。 2カ月に一度の会合だけに歩みは牛のごとく。 矢田に住まいする人たちから享受していただきな…
昼間に八柱神社の上棟祭を終えた奈良市の誓多林町。 夜は仮宮に遷されていた神さんを神殿に戻ってもらう正遷宮が行われる。 ライトアップされた神社境内が浮かび上がる。 参列する大人衆と氏子たちはテント内で見守りながら神事が始まった。 修祓を経て遷宮…
前日からの雨は降りやまない。 夜半には強い風が吹き荒れた。 春一番であろうか。 気象庁では立春から春分の間に初めて吹く強風を春一番と呼ぶ。 春分を過ぎた数日後はそうとは呼ばないからこの日は強い風の日としか言いようがない。 そんな雨もあがった奈良…
翌日の造営上棟祭を前にリハーサルをされる奈良市誓多林町の造営委員会。 昨年の11月3日に行われた「チョウナハジメ」の儀式から半年を経てようやく造営の日を迎えることになった。 尾田組の手によって新しくなった宮さんは7社。 真新しい朱塗りの神殿が…
大北のお大師さんの2例を拝見した帰り道。 茶筅竹を寒干しされていた家があった。 家族で仕事をしていた家は無足人座。 二月堂のお水取りの松明を毎年寄進している座だという。 高山は浄土宗であるが、東大寺末寺の真言宗法楽寺(現在は華厳宗)が在所にあ…
3月21日はお大師さんと云って家で祀っているお大師さんを拝んでいる生駒市高山の大北地区。 かつて地区には講があった。 選ばれた代表者は四国八十八か所に参っていた。 毎年のことだったとK家の母親が話す。 四国に出かけなくとも地区でお大師さんを祀…
大和郡山市の白土町にはお盆のときに新仏の家に参って鉦を叩きながら念仏を唱える念仏講がある。 チャチャンコとも呼ばれている子供念仏講。 もう一つはチャンガラガンとも呼ばれている大人の念仏講だ。 その大人の念仏講は3組あるが名称はない。 これを仮…
桜井市の山間。 白木や芹井における閏年の庚申調査の途中に立ち寄った三谷。 菅原神社が鎮座する。お参りをしたときに拝見した行事のモノの数々。 拝殿外にあった松苗。 半紙が括りつけられている中身はおそらく籾であろうか。 丁寧に藁紐で括られている。 …
旧暦閏年の庚申参りは東山間部の各地で見られる。 とはいっても全ての村々ではなく庚申講が行われている地域だけだ。 北・上・南の垣内に庚申講があると聞いている天理市の藤井町。 2年前に北垣内のヤドで行われていた庚申講の様子を伺ったことがある。 6…
奈良市長谷町では庚申さんを祀る庚申講がある。 峯出、清水、西谷、奥ケ谷、垣内それぞれの5垣内である。 新暦の閏年の初庚申の日には5垣内の講中がそれぞれの庚申石などに参る。 今年はその年にあたる。 4年に一度の庚申参りには塔婆を用意する。 その場…
翁舞で名高い奈良豆比古神社付近にやって来て目に入ったのは「二月堂」の刻印が見られる奈良坂の常夜燈。 神社の東側10mに信号がある傍だ。 常夜燈の刻印には「文政十一年(1828) 講元河州 杉澤作兵衛 世話人講中」とある。 もう一つが「三社燈籠 万…
3月の社日の日は「ヒトツボマンバイ」と云って供える人も居るらしい。 一坪が満杯。 それほどたくさん実成りがいいということだ。 御田祭に供えた松苗サカキは苗代や田んぼに奉ってミトマツリ。 元は正月1日に参っていた年始参りは三日に移ったが、公民館…
2月3日の節分には煎った豆を持参して氏神さんに供えた。 次に来た人は豆を供えて置いてあった豆を持ち帰る。 ここにも節分豆の風習があった奈良市北村町の戸隠(とがくし)神社。 「享保元年(1716)十一月吉日」とある燈籠には「九頭大明神」。 「享…
エースコックの大人のスーパーカップ1.5倍。 黒の流儀と名がつけられた焦がしラード仕上げのラーメンだ。 パッケージにあるような大きな肉、野菜は見られないがまっ黒けの出汁スープ。 とにかく濃い目の醤油ラーメン。 まっ黒けに染まったスープを泳ぐ麺…