
毎月17日は観音さんの日で念仏講を営む西と南垣内のご婦人たち。
高田西垣内薬師堂の中で西国三十三番ご詠歌を唱えられる。
彼岸のときは講の人の都合に合わせて日にちを決められる。
昨日が彼岸の入りだったのでみんなの都合がえーからと昼過ぎに集まった。
数年前までは夜の八時だった。
この歳になったら夜道も危ないのでと昼間の営みにされた。
念仏講はたったの4人。
平成19年、花まつりのときに訪問させてもらってからも変わっていない。
その後もご婦人方の健康的なお顔を拝見できたのがとても嬉しい。
それはともかく彼岸のお念仏は毎月行われている観音講の営みと同じで、五枚の掛け軸を掲げて西国三十三番ご詠歌を唱えられる。
ご本尊の薬師さんやお大師さんの仏さんを祀る祭壇にも灯明が点された。
「為蓮社講中現也安穏後生極楽一蓮託生」の掛け軸はあんじゅさんが書いたものだという。
それには亡くなられた念仏講の名が記されている。
古くは嘉永四年(1851)、安政四年(1857)のものもあるがほとんどが明治、大正、昭和時代だ
薬師堂は尼寺だったそうだ。
昭和7、8年ころ、あんじゅさんがいてはったと先代のおばちゃんが話していたことを思い出される。
無住堂になってからは講の人が書いているようだ。
ご先祖さんの掛け軸の他、阿弥陀さん、観音さんや西国三十三番が掲げられる。
鉦を叩く導師に合わせて弔いのお念仏が小さな堂内に響き渡る。
最後は連打で「なむあみだぶー、なむあみだぶー」とお経を唱える。
席を替えてお大師も拝み彼岸の営みを終えた。

高田地区は中心部の辻を境にして西、南は薬師堂で、北、東は神社鳥居前の会所で行われている。
薬師堂にはかつて双盤鉦があった。
葬儀の際に見晴らしの良い小高い丘にあがり、紐を持って一番鉦を叩いた。
村中に聞こえるように叩いていた。
20年ほど前だろうか、いつしか鉦が消えた。
そして呼び出しの鉦が聞こえなくなったという。
念仏講はお通夜のときにご詠歌を唱えていた。
来てもらわんでえーと言われるようになって披露する場がなくなった。
営みを終えたらお茶とお菓子をよばれて歓談の場。
おばあちゃんについてきた孫さんも入って語らい。
田んぼも出んようになったからこの日は久しぶりに顔を合わせる。
庭先で「ホー、ホケキョ」の囀りが聞こえてきた。

幼稚園のころからウグイスと会話しているんだと話すかずまさくん。
ウグイスに手紙を書いたら返事がきた。
4月に小学二年生になるけど今でも手紙のやりとりは続いているのだと笑顔で話す。
12月のイノコ暴れの話題になると目を輝かせていた。
(H22. 3.19 EOS40D撮影)