
小雨になった11時の桜井市の山田。
決められた集合時間にやってきたのは3人。
奥垣内のモウシアゲはどうやら半数が11時半と伝わったようであった。
待つこと十数分。
講中一人、一人がローソクを持ってくる。
庚申石に立てたのはカシの木の塔婆だ。
表面を削り取って願文を書かれた。
五文字の梵字に.「南無青面金剛童子 天下和順 日月清明 風雨災厄 国豊 兵戈崇徳 以時不起 民安 無用興仁 務修禮譲之塔 平成二十六年四月六日建之」である。
五文字の梵字は「キャ、カ、ラ、バ、ア」と詠む「地、水、火、風、空」であるとFさんが解説される。
さすがによくご存じのFさんは桜井市の文化財審議官がお仕事だ。
数々の文化財や行事などを調査されている。
持ってきたローソクを庚申さんの前に立てるが、強風で火が点かない。
諦めて、一同は揃って一礼した。
次に一巻の般若心経を唱える。

本来は三巻であったが、簡略化したと云う。
お供えも、かつてはヤドがモチを搗いて小豆餡を塗したアンツケモチであったが、今では常用饅頭だ。
これもまた簡略化である。
「塔婆はしばらくその場に置いておく、黙って持って帰る人がおっても構わない」とFさんは話したが、結局はヤド家が持ち帰ることになった。

講中は揃って公民館横に待機していた多武峰観光ホテルのバスに乗って出かけていった。
いつされたのか判らない川之垣内の講中はどうやら停まっていた信貴山観光ホテルで出かけたようだ。
奥垣内のモウシアゲを拝見して西茶ノ前垣内の庚申石を探しまわった。
そこにもお花を添えていた。

こうして拝見した7カ所すべての庚申さんにはお花を飾っていたことが判った。
奥垣内のFさん曰く、「地区では庚申さんは七色の花を好むからどこでもお花は七品や」と云っていた。
話しによれば隣村の上高家・下高家でもモウシアゲをしているようだと云う。
明日香村の稲渕の旧暦閏年の庚申さんを取材したことがあるが、ここでもモウシアゲと呼んでいた。
行政区では山田も高家も桜井市であるが、かつては明日香村内だった。
祝戸、上平田、奥山、飛鳥、八釣、東山、阿部山、大根田、立部でも呼び名はモウシアゲである。
モウシアゲの分布は高取町の越智にもあると調査史料に書いてあるが、これら以外の地域ではだいたいがトアゲでトウゲと呼ぶ地域になる。
(H26. 4. 6 EOS40D撮影)