マネジャーの休日余暇(はてなブログ版)

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古文書閲覧


氏神さんには古文書が残っているんだ、前神主さんが文書を整理しているので拝見してみようと、村神主さんのご好意で同行閲覧させていただいた。

櫃の中には束になった古文書から一部を取り上げ開いてみた。

「座入名替畑(畠や畑門と記載されているものもある)年貢帳(覚記もある)」は読み取れる範囲で文書をめくれば文化九年(1812)、天保十一年(1840)が検出された。

昔は神主田や頭家田、竹藪田、寺田があったという村神主さん。

その田で畑作栽培したものを売った年貢で祭礼の費用だてとしていた年貢帳だ。

「座入」は生まれた男児を座入りとして登録したもの。

「名替」は元服のとき、幼名から成人名に名替えをしたものであろう。

古文書には「頭家神事入用覚」があり、八嶋大明神さま祭礼、正徳元年(1711)、二年(1712)、宝永三、四年(1706、7)、七年(1710)の年代が読み取れた。

年代によって異なるが神事に用立てしたものの名前と量が記載されている。

読み取れたものを列記すると、カワラケ六百、飛魚二百、米一石、箸二百膳、酒二斗、カマス八枚、サトイモ百、豆腐三丁、行木(へぎ)二枚、酢、なます、コンニャク、ゴボウ、タコ、大豆、味噌、竹箸、割木、松枝などなどが崇道様には頭屋納め、八王子大明神には神主納めとある。

この順が明治三十年の入用覚では氏神から崇道天皇様の順に替わっている。

どのような理由か定かでないが明らかに氏神さんのほうが先に書かれている。

かつての頭家祭礼は崇道様の祀りごとであったのが、八王子さんの祭礼が加わり近代になってから代表格が入れ替わったのであろう。

それにしても当時の量はものすごい量だ。

箸二百膳や飛魚二百の数量は集まってきた村人の人数分だけ用意したのであろう。

「座入り帳」では天保十四年(1843)、宝暦十二年(1762)、元文年(1736)、宝永元年(1704)、六年(1709)、七年(1710)、享保二年(1712)、元禄十四年(1701)、が確認できた。

宝永六年の記帳からは壱番頭、弐番頭、参番、四番の記載がある。(これ以前は印のみ)

このころから頭家四人は順番が定められたのであろう。

元禄時代の大火に見舞われた田中村。

その前の記録はすべて焼けてしまったと伝わっていものを検証することができた貴重な宮座記録だ。

他にも古文書が存在するので調査には相当時間を要することであろう。

時間が許す限り支援したいものだ。

(H20.10.26 Kiss Digtal N撮影)